お洋服を買いに行って泣きそうになった話。

給料日!洋服を買いに足を運ぶ。

自分へのごほうび。(と言えるほど誉められるような1ヶ月ではないけれど)

 

でもお洋服を買いにいくと嬉しさ反面落ち込むのも常。服を選ぶとコンプレックスが表面化する。着たい服が似合わない。体型がとか、顔立ちがとか、考えれば考えるほど先週なんとなくやってみた最近流行りの某似合わせ診断に沿った服を選ぶに落ち着く。

 

ここで言ってるのは似合わせ診断を批判したい、ということじゃない。むしろ好きだし、それに沿って服を買うのもそれに沿わずに自分の好きな格好をするのも個人の自由である。

ただ私個人が好きな服を着るよりも似合いそうな服を着る人間だ、その上でほんとのところ挑戦したい服装があるというだけだ。

 

どっちだよ!と言いたい人も多いと思うけど。

 

ともかくそんなハリネズミのジレンマ的葛藤に加えて、最近の仕事での人間関係にも疲れてトケドケした気持ちでいた本日。

 

店員さんと軽くお話をして、お洋服の振り幅があるんですね、とのこと。たしかに。着ていた服は本当は挑戦したい服装。選んだのは某診断を元に選んだトップス。本当は○○系統が好きなんだけど最近迷走していて~とか△△系統のほうがしっくり来るので…とかもぞもぞ言って。

 

ゴニョゴニョわかりにくいことばかりいってる私にたいしてもすごく感じのいい店員さんで、明るく色々と服を探してくださったり、手際もよく素敵だな~、と思ってた。

 

一番最後の言葉が忘れられない。

 

もうレジにならぶだけだったのでありがとうございました~と離れようとすると少し立ち止まる店員さん。どうしたのかなと思っていたら「あの、確かにおっしゃる通り背が高くて細くて~って人がカジュアルな服を着るとメンズっぽく洋服を着こなせたりする(事前に話していて自分は真逆だと思う、と伝えていた)と思うんですけど、お姉さんみたいに小柄でお顔立ちが可愛いかたがメンズを着るとそれだけでギャップになってお姉さんだけの魅力が出ると思うんです!」。(こんなに誉めてねーよ、だったら店員さんごめんなさい。うろ覚えです許してください土下座)

 

いや、泣きそうなんだが。書いてても思い出して泣きそうになる。日曜日になっても月曜日の仕事を嘆くどころか先週のことを引きずりすぎて明日のことを憂う気力すらなかった一人の社会人が救われました。店員さん、天使?私のコンプレックスと憂鬱な日曜日を明るくしてくれてありがとう。仕事やめたい、でもやめたくない、誰にも会いたくない、自分なんかいなくてもいい、とかなかなか自律神経イカれてた私に、まっすぐに優しい人がこの世にいることを思い出させてくださってありがとう。

 

結局長々とこんなこと店でしゃべってたら変人とみなされる恐れがあるので、精一杯ありがとうとあなたが接客してくれて良かったという旨を伝えて店を出た。おい。

 

店員さん、優しくて目を見て話してくれてありがとうございました。笑顔が素敵でしたし一生懸命服を探してくださったり、一言一言が気遣いに溢れていて嬉しかったです。お洋服が本当に好きだということが伝わってきて眩しかったです。またこのお店に行ったら会えますように。

 

ちゃんとこの旨をお店に伝えたいんですが伝え方がわからず、でも忘れたくなくてまずはまとめました。私もそんな人になりたいな。ありがとうございました。

 

ARASHI 5×20 FIRM "Record of Memories"を見まして

11月26日。
大野さんのお誕生日。5×20 FIRMの全国公開日。

遅ればせながら11月28日、見てきました。
私開始0秒泣きどころか終始泣いてました。泣きながら笑顔だったと思う、、情緒、、

忘れたくないから熱いうちに想いを殴り書き。
ネタバレほぼないですけど気をつけて。
見てない人は、嵐ファンじゃなくても見てください。あそこに日本屈指のエンターテイメントがあります。アイドルのトップが居ます。








 始まりから、映像と音楽でワクワクさせてくれるからコンサートが始まるときのドキドキ感があってすごくよかった。


 DVDとも違って、嵐さん目線も味わえるんですよ。会場の大きさ、たくさんのファン、綺麗なペンライトの明かり。演出家「松本潤」の作る会場を今まで見れなかった視点で楽しめるのも一つ。
 
 潤くんのつくるステージって、本当に楽しくて、一つ一つに意味がこまかーーーーくあって、愛が詰まってるんですよ。暖かい。セトリもステージの演出も衣装も。すごくすごく繊細な人だからこそ、作れるんですねきっと。


 わたしもいろんなアーティストを追いかけてるので色んなステージを見るんですけどね、嵐さんのステージが一番愛を感じるんですよね。
もちろんお金かけられる、ってのもあると思うんですけどその与えられたものを最大限に活かして伝えられることを最大限に伝えてくれる潤くんが私は最高のエンターテイナーだと思っています。


 あとね、今回144台(だっけかな、違ったらすみません)のカメラで撮影してるんですよね。様々なところから。ドローンも使って。シンプルにすごい数だなって思ってたんですけど、嵐さんのこと360°撮ってるわけなんですよ。汗かきながらがんばる姿も、dvdでは見えなかったメンバー同士のやり取りも、普段は見れない後ろ姿も、見れるわけです。

これって嵐さんが『ちゃんと360°見てくれてる』からカメラ撮影できるんだと思う。アイドルなんだから普通では?と思うことかもしれないけどさ意外と普通にできることじゃないと思っていて。長年培ってきたものはあれど、嵐さんって本当に上の方まで、隅の方まで、見てくれるんですよ。誰も置いてかれてない感じがすごーーーーくするんですよね。

一体感、安心感。どこから撮ってもそこを特等席にしてくれるアイドル、でございます。


『大丈夫、ここにいる』
嵐さん、なんだここにいたじゃないか。あーーーーそうか不安にならなくてもここにいてくれるんだね、ありがとう。


 たくさん泣いて笑って、すっきりして。感謝と元気で胸一杯で映画館を後にしました。


 かっこよくてかわいくて面白くて美しい。彼らはどんなときも愛を送ってくれます。嵐さんを何となく好きな人も、ふかーーーく好きな人も楽しめるステージになってます5×20。ぜひとも。

私は二日連続で見ました笑

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書きなぐる。

やりたくねー事を真剣に考えて断って腹をたててむちゃくちゃ心情荒れてましたが、それから数日たった今、逆に自分の中の大切にしたいことが見つかりました。

クソ古い体質は大企業あるあるで確かに仕方ねえこともわかってるんだけどそこで生き残る人もそうなっちゃうのも仕方ねえんだけど、それに女の嫌なとこ煮詰めたみたいなこと言われても平気なんだけど

Noとは言えないTHE・日本人な私がNoと言えるということは本当に心から嫌なのだなと自分にも驚きました。これからどんどん忖度しなきゃ生きてけなくなるんだろうけど、それでもオンとオフは分けて生きていくことを私は一番大切にしたい。

いつも曖昧な私だからこそどちらにも寄れずに悩みながら生きていくんだと思う。多分仕事とプライベートごっちゃにしたら本気で精神ぶち壊れるタイプの人間なのわかってるんで。周りのクソ古人間たちにはわかってもらえないの重々承知で生きていきたい。繊細なひとに寄り添いたい。

春馬くん幸せだといいな

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あけましておめでとうございます!!!
久しぶり!!

今年は日記を書きためたい、
ノートを買います。

嵐がね、活休しましたね。
細く長く好きで、沼から抜けたときもあれば
沼にどっぷりはまることもありつつ生きてきました。
嵐って、はまってない人にとっても
いつも生活のなかにいましたよね。
私にそんな風にずっと
無意識のうちに傍にいてくれてた。

私がいつも嵐さんを見てて思うのが、
サザエさんドラえもん、ディズニーみたいだな、ってことです。老若男女安心できる。ほのぼのした明るさ。元気が出る。

あー、あんなにスーパースターなのにあんなにファンを愛してくれる人って他にいるのかしら。嵐がいる時代に生まれて良かった。31日の夜から失恋したように心の中に穴が開いてしまった。

語るには大きすぎるので語らないですが。
いつも悲しいとき、楽しいとき、頑張れたのは音楽のおかげ。嵐さんのおかげ。

ここ数年、私の好きなものがどんどんなくなっていったりしていて、24年生きてると大切なものをなくす経験が増えてくるんだなあとわかりました。孤独も抱いて生きていこうね。

2021年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、祖母の一周忌に出てきました。
一年経っても涙が出てくるので、「ああ、過去にはできないな」と。いつになったって、嘘ならいいのにと思います。私が一番大好きで、私の一番の味方でいてくれた人。お上品で優しくてがんばり屋で、本当に素敵な人。いまだ夢にも出てきてくれない人。

見せたかったはずのスーツも花嫁姿も見せられないままになっちゃったけど、いつかきっとおばあちゃんにも自慢できるような素敵な女性になりたいな。

おわり。

恋はあんなにも感情的に始まるのに、どうして結婚はあんなにも合理的に進むんでしょう。

結婚は少なからず、恋の延長線上にあると思うのです。

私も人並みに、恋を何度かしてきましたが、どれもどうしようもなく感情的でした。むしろ感情だけが走って走って、転んでしまうくらい理性を置いてったような気がします。もちろん大人になるにつれて、段々と理性も追い付いてきたけれど、まだまだ私は感情が暴走しかねない危うさを持ったままです。子どもです。

結婚は大人の約束、、

本当に「大人のもの」なのか、はたして大人とはなにかを考えてしまえば話はつきませんが、自分が「大人であること」(大人であろうこと、の方が正しいかもしれない)を証明するために私は結婚したいだけかもしれません。寂しさの影に隠れた、かつ隠しきれないプライドの像です。

こうして、法と秩序に、私たちの生活が守られる傍らで、愛の延長線上にあるように見える結婚ですら、契約という名の社会秩序に呑まれていくんだと思います。そこにはもう感情なんか必要ありません。なんだ結局いつの時代も結婚なんて愛は関係ないじゃないか。

恋はいずこに。

女だからバカにされたときの話。

まあそんなの世に生きていれば男女問わず自分の性別を馬鹿にされたりすることは一度はありますな。

以前から慕ってくれている後輩がいて、遊びましょう!って言ってくれたり誕生日にLINEくれたりするたびに、嬉しいなあって思ってて弟みたいな気持ちだったんですよ。まあ弟ほど近くはないけどそれが一番しっくりくる言葉だな。そんな感じで誘われたら時間を作ったりだとか、悩みをきいたりだとかしてて。

そんなある日、親しい友人から聞いたんですけど、その後輩が「あいつ(私のこと)なんか6000円でやれるわ」って言ってたようで。

その友人にもわざわざ頼んでもないのに悪口教えるなや、とか、6000円って援交より安いじゃねーかとか色々あるんですけど。

一番悲しかったのは、「後輩を、後輩として見てたのは私だけだったんだなあ」ということです。男だとかそんなのは意識せずに、人間として付き合っていたつもりだし、相手もそうだと思っていました。性的な目で見られることの怖さよ。


あと、こいつは女を下に見てるんだ、って感じがすごく気持ち悪かったです。やれる、ってなんですか。私そんなに下品な女なんですか。6000円払えば誰とでも致す女だと思って笑ってたんですか。

とにかくその時私はすごく悲しかった。辛かった。あんなに親しげにしてくれていた、こまめにむしろ相手から連絡をくれていた子が、まさか自分を見下していたなんて信じられますかね。人なんか信じなきゃよかったとか思いかねないですよ。なんで人間として見てたはずで、後輩といえども対等に接してきたつもりがこんな風に貶されなきゃいけないんだろう。私って値段つけられなきゃいけない人間なんだ、とか、人間として扱ってもらえないんだ、とか。

そんなのずっと気にする必要ないだろ、ってわかってるんですけど。一人身近な人を無くしたような、自分の人権を否定されたような気がして私には無理でした。

女を女だからこそバカにするやつは絶対に許さない。何気ない発言が性別の差別に繋がってしまうことの恐ろしさも改めてわかりました。あいつは殺す。

なーんて経験の話。