恋はあんなにも感情的に始まるのに、どうして結婚はあんなにも合理的に進むんでしょう。

結婚は少なからず、恋の延長線上にあると思うのです。

私も人並みに、恋を何度かしてきましたが、どれもどうしようもなく感情的でした。むしろ感情だけが走って走って、転んでしまうくらい理性を置いてったような気がします。もちろん大人になるにつれて、段々と理性も追い付いてきたけれど、まだまだ私は感情が暴走しかねない危うさを持ったままです。子どもです。

結婚は大人の約束、、

本当に「大人のもの」なのか、はたして大人とはなにかを考えてしまえば話はつきませんが、自分が「大人であること」(大人であろうこと、の方が正しいかもしれない)を証明するために私は結婚したいだけかもしれません。寂しさの影に隠れた、かつ隠しきれないプライドの像です。

こうして、法と秩序に、私たちの生活が守られる傍らで、愛の延長線上にあるように見える結婚ですら、契約という名の社会秩序に呑まれていくんだと思います。そこにはもう感情なんか必要ありません。なんだ結局いつの時代も結婚なんて愛は関係ないじゃないか。

恋はいずこに。