tetoというバンド
あけましておめでとうございます。
気づいたら2019年。生まれてから23年。
今年は念願のCDJに。
最初から稀に見るテン高で望んでしまいました。
やっぱりどの演奏見てもですね、
なんかこう、このステージに立つためにどんな風に努力してきたんだろうとか、今同じ客席に立っている人のなかに未来のバンドマンが、とか夢を見てるバンドマンが、とか考えて感情がいっぱいいっぱいになります。
好きなバンド群も、今回のメインだったオーラルももちろんですけど、今回絶対見たいなあと思っていた一つがtetoです。
ここ数年前、2016年に結成したバンドなんですが気づいたらCDJに出演するという急成長ぶり。気になるじゃんこんなん。ていうか元々曲が泥臭さと屈折した感じがあって、不器用で生きるのが下手くそな自分に響いたわけでずっと気になっていたわけです。ちょうど30日じゃん、行こう。というわけです。
一緒に行った先輩を走らせてバタバタ向かいました。小さいステージだったんですけど、小さいステージだからライブハウスみたいで親近感というか安心感。
やっぱりどんなバンドっていうかどんなジャンルのパフォーマンスも生が一番だけれど、tetoの良さは生じゃないと伝わらない!生で見て良かった!もっかい生で聴きたい!って思わせてくれた。なるほど、歌のうまい人はたくさんいれど、tetoの魅力のひとつは感情をあそこまでのせられることだなあ。って。あのたった数分で目頭熱くなりました。
あれはね、エレカシの宮本さんみを感じるよ。熱い人が私は好きです。熱すぎてマイク何回もなおされても、まともにしゃべれなくなっても、ドラムにつっこんでいっても小岩さんが愛しいです。
光るまちたまらん。「君の狭い狭い狭い狭い狭い狭い世界こそ正解だ」これでどれだけ救われる人がいるんだろうな。狭い世界なんかにいちゃだめだ、お前の考えは間違えている、お前だけおかしいよ、なんて言われることも多いから、自分を肯定してもらえた気がして。あーこれでいいのかな、いや駄目かもしれないよ?やっぱり常識とか考えたら私は違うかもよ?でもこれでも許してくれる言葉があるんだなあってもうやばかった。ありがとう。辛くなったらこれを聴こう。
後々考えたらあの小さいステージ、ライブハウスみたいだからこそtetoを光らせてたんですよね。小池さんがライブ中に「間違いなく!数あるステージでここが一番光ってるよ!」って叫んでたんですけど、いややっぱりめちゃくちゃ光ってるステージは他にもあるだろうなあって思ったんですけど、それでもそういう心意気で望むくらい今のtetoにとっては大きなステージであったと思う。でもtetoらしさをいい意味で出してくれてたのがあの小さいけど熱いコスモステージだった。いつかおっきいステージで歌ってるとこも見てみたいなあ。その時どんな気持ちにさせてくれるのか、どんな言葉を伝えてくれるのか、私は楽しみであります。
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大学生ってあれですよね、嬉しいのが自分だけじゃなくて世の中の大抵の人間が実は寂しがりやだったことがわかる。すごくすごく大切な時期だと思うんです。
カウンターでお酒を飲む二人があえて逃す終電。「まだいけるでしょ!」「いや~明日早いんですよ~」って言いながら向かうカラオケ。「今から海いかない?」で始まる真夜中のドライブ。
皆寂しさに負けてたまるか、悲しさを出してたまるかって耐えるんだと思うんですよね高校時代まで。それがストレスになることも。でも大学生になったら寂しがりやを表に出すことが、さっき書いたみたいな状態で、すこーーーーーしだけ可能になる。それだけで、実はすごく多くの人を救っていると思う。弱さを表に出せることの幸せ。寂しさを救うことよりなにより一番簡単な、無意識の救済処置がここにあると思うのです。
救いといえば、救いようのない言葉について逆にお話ししたいと思います。
皆さんは「『あとのまつり』を祈る」という論文知ってますでしょうか。私はこの論文がなんとなく好きです。タイトルもなんとなく好きです。なんででしょう。そもそも祈るって言葉がなんとなく好きです。
本当の本当に欲しいものや願いをこっそり胸に秘めて、目を瞑って、手を合わせて祈る。自分ではどうしようもないことだから、せめても、と祈る。
私を構成するもののひとつだから好きなんだと思う。面接で「あなたを一文字で表すと?」と聞かれたときの非模範解答、私の一文字。
きっとあの筆者は不器用でめんどくさい人柄だったんでしょう。私に似てたのかな。
私は今日もまた、今更どうしようないことを、多分もう取り返しのつかないことを、「どうにかなれ、もしかしたら」と祈りながら眠りにつきます。おやすみなさい。
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このブログの名前って、「架空OL日記」っていう、ネカマというかOLになってバカリズムさんが書いてたブログをもじったものです。ドラマにもなってたので、淡々とした日常漫画とか好きな人は面白いから皆さんも読んでください。秋の夜長を潰せます。
幸せは私の筆をあまり走らせないようです。まあ不幸せでもダラダラ厨二小説みてーな文書くだけなんですけど。
寝ればなんでも解決できるようになりました。我慢したり人に気を使いすぎても幸せになれないから感情はなんでも表に出すようになりました。まあきっとほんとはこんな人間だったんだとおもう。世の中のうるせえババアたちもきっと昔は私のように人の目を気にし、好きな人の前では自分を出せず、控えめに純情にうら若き乙女時代を過ごしたと思います。そのうち、どんなに気を使っても幸せになれないこと、一人で生きていくのもなんだか楽しいこと、自分は実はそれなりに世の中の物事をそつなくできることを知って、ついにうるせえババアになったのでしょう。そう思うとババアの気持ちもわからなくもないです。ご婦人たちだってやることをしっかり毎日やってるから周りの不出来に腹が立つのかもしれないです。気持ちがわからなくもない、いやわかりたくはない。おまえら一回うちのバイト先でバイトしてから文句言え。
なにはともあれ私は眠れば大抵なんでもなおるハッピーガールへと成長しました。自分のメンタルは自分で直すのが大人です。
皆も落ち込んだときは、大抵問題の解決ではなくてまずはたっぷり眠ること、ご飯をバランスよく三食必ずとること、家からでて外をお散歩することからやりましょう。終わり。
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お風呂は私の癒しで、お布団も私の癒しで、携帯は私の最後の砦です。
もう最近はほとんど思い出さない初恋の人といたときの気持ちとかあの場所とか。でもあの人が好きそうな曲だったり、あの人と聴いてた曲だったりでふと脳裏を過る高校時代。好きな人の匂いはまるで思い出せなくとも、街中で好きな人の匂いがしたらすぐ「あの人と同じ匂い」って気づくの不思議じゃないですか。
もう何も未練もないですけど、あのときの音楽とすれ違う人が思い出させるあの匂いだけはきっと一生残る。まあいい思い出であり悪い思い出でもありました。
今あの頃に戻ったら、あの人のことは恐らくすきにはならないだろうけど、あの人がいたから今の私がいて、今隣にいてくれる人がいるんだと思うと、意味のある、大切な初恋だったと思います。
好きな人と飲んだ帰りにコンビニから出たら、金木犀の香りがして、嬉しそうでした。もう秋です。
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最近は、朝からN.E.O聴いて「うぃ!あー!そー!きゅー!ないっ!ふぇいす!かもんいぇ!いぇいぇーい!わたし今日かわいいー!いぇいぇーい!」とぼさぼさの髪と水分不足で開かない目とつっぱる唇を奮い立たせながら起床します。良い傾向。
大学入学後わずか数ヵ月で思春期から目覚め、遊びと酒と男と女と酒とたまのバイトと酒に耽る薄っぺらいFラン私文JDと化した一女二女をへて、そこから最近はめっきり本も読まず、昼寝と料理とバイトとたまの酒で生きることをしていましたら文章まで薄っぺらくなりました。友達も減りました。
昔はCROOZ blogに思春期を書きなぐっていたわけですが、今も完全には抜け出せてはいないのですが、たまにはつらつらと思いの丈を書き連ねてみようかと思いまして、この次第です。だってサンボマスター聴いてたら熱くなっちゃうじゃん。
一文が長くなるのは私的な文章を書くときの癖です。本当は、端的にわかりやすくまとめるのが私のモットーでございます。